2011年11月 1日 (火)

半年間の休眠

  タイトルにあるように、5月の初めから約半年間もアップをしなかった。その理由は、体調の絶不良である。とは言っても本当のところは、諸々のこと(例えば引越し)があってそれどころではなかったのだ。

  それにしても震災があった時に感じた、あるいは予測したとおりのことになってしまい、 自分の原発に対する被害予測力を自慢したいところではあるがとてもそんな気持ちにはなれぬ。

  寺田寅彦は「天災は忘れたころにやってくる」といったが、私は「天災は忘れる間もなくやってくる」のだと言いたい。この天災という言葉を、天人災とかえてもいいような気がしている。また、事実そのようなことが世界中で起きているからだ。

  休眠はこれくらいにして、これからは心を入れ替え、心機一転して、駄文をアップすることにした。

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2011年5月 6日 (金)

ポスト大震災

  昨年の11月7日に、「テレビは見てはいけない」なるコメントをアップした。まことにその通りであることを、3月11日の大震災とそれに続く、原発事故による人災を経験するに及んで、ますますその感を深くしたのである。

  当時は苫米地博士の言に賛同して、まことにその通りであると思ったのであったが、今回の経験により、そんなものではなく、骨身に沁みる思いがしたと同時に、人生観が一変してしまったのである。

  恣意的に情報を操作している疑いが一層強く感じられる。であるから、見てはいけないのではなくて、見てもいいが、何を報道し、叉何を報道してないか、あるいは何を事実と異なる方向に捻じ曲げて庶民を洗脳しているかを見抜く材料として見るのであれば、これまた真実に迫る一つの手段ともなるのではないかと思った次第である。

  今は有り難い事に「大本営発表」を検証する手段がいくらでもあるから、洗脳されることもあるまい。それにしても、この国の政治は落ちるところまで落ちてしまったと慨嘆することしきりであるが、これも占領軍の思惑通りになったということで、お目出度い限りという他はない。嗚呼!

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2011年3月 6日 (日)

久々のアップ

  またしてもアップの間隔がひどく空いてしまった。とこう書き出せば、このブログは、どうせまた弁解なのだろうと思われはせぬかと、心配をするほどのブログで無いから、その点は安心してよいのだと妙な理由で自分を納得させている。

  書こうと思えばねたは毎日の新聞及びテレビなどのマスゴミを見れば、不自由することはないだけのものがある。ではあるが余りの下らなさというか、その偏向ぶりあるいは取材努力もしてないその不勉強ぶりに呆れ果てるのである。

  だから俺の情報源は主としてインターネットに限っている。テレビは単にBGMとして流しておくか、あるいは、刑事もの(10Chの相棒)を時たま見るぐらいのものなのだ。公共の電波を使いながら、何故このような下らぬことを垂れ流すのかといぶかしんでみても仕方あるまい。

  それにしても何故某有料放送局は、番宣があのように多いのか?叉、自社の不祥事に関しては何故報道を制限してしまうのであろうか?本来報道すべき事案を無視するのか?

  そんなことを今更問題にする方がおかしいといわれればまことにその通りなのであって、視聴しなければすむ事である。だが、毎月視聴料を有無を言わさずに取られるのは、考えてみればカミュではないがまことに不条理ではある。

  これも税金の一種と思えば腹も立つまいと、そのことについては卑怯ではあるが、考えぬことにした。そのほうが精神衛生上(ばかりではない身体の健康上にも)いいと忘れるか、考えぬことにした。

  それよりもう少しアップの頻度を上げる努力をすることに専念しようと考えた次第である。どうなることやらそれは保証の限りではない。天候気候次第である(つまり身体の状態次第)。

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2011年1月13日 (木)

忘却とは忘れ去ることなり

  「君の名は」なるラジオドラマについて書くわけではない。そうではなくて、既読の書物の内容を忘却していることについてである。

  1997年10月31日初版の、「科学の終焉(ジョン・ホーガン)」を、今再読しているのであるが、内容がよく理解できないのである。ところが、緊要なるところ(当時そう思ったのであろう)に、黄色のマーカーを引いていたり、あるいは暗号としか思えないような覚書が書き込んであるところを見ると、その当時においては、内容を俺なりに理解はしていたようだ。

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  その厳粛なる事実に気がついたときの驚きは、想像を絶するものがある(大袈裟か!)。そこで、逐一の再読は止めにして、マーカー部分や、メモ書きの部分の暗号もどきの解読だけをすることにした。それで再読をしたことにしようというわけである。

  例えば、「すべてを理解するということは、すなわち、気が狂うということだ」などということはどういうことか理解できないのだ。多分当時は、共鳴するところが大いにあったのであろうが、今では何の感興も沸いてこないのはどうしたことか

  結論として、安易な理由付けではあるが、加齢現象ということで片付けることにした。しかしこのように忘却とは忘れ去ることなのだが、それがあるから人間は幸福なのだと思うことにしておこう。

  

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2011年1月 6日 (木)

初アップ

  2011年の初アップである。紙年賀状は少々出したが、宛先不明で戻ってくるものが少なからずある。例年ならば、住所を調べて再確認したりして再度出すのではあるが、今年は、一切そういうことはぜず、単に溜めおくことにしてある。

  静かな正月である。外出もしないし、テレビを見ないから余計にそう感じるのかも知れない。もっぱら寝ながら本を読んでいる。インターネットにも余り接触してない。

  今になって痛感していることではないが、加齢と共に物忘れがひどくなってきたようだ。この事実に関しては、メリットとデメリットの両面があることに思いを致さねばなるまい。メリットは、今までに読んだ書物の内容やら何やらが、みな忘却の彼方へと飛び去っているため、再読の際初めてのように新鮮に読めるということである。

  「坂之上の雲」(文庫版)8巻を昨日読了した。実は既に昔ハードカバー版(6巻)で読んでいたのだが、そのような感じは一切受けることなく、初物のように読み終えることが出来た。それにしてもハードカバーの本がないのはどうしたことであろうか。以前の書籍大破棄作戦を実施したとき、捨てたのであろうと思うことにしている。

  デメリットの一例としては、ドラマの動画などをダウンロードするとき、既に終わっているにもかかわらず、またも同じことをしていることがある。その度に後で、どうも既にダウンロードしていたと思うことが多いのだ。昨日もそれをして、ずっと以前に既にダウンロードしていることを、外付けHDDの内容を見ていて気付いたりした。

  初アップがどうもボヤキということになってしまったようだ。この記憶ということに関しては、叉のち程自分自身を材料にして、考察してみたいと思っているのだが、そのことすら忘れるのではないかと、ひそかに恐れている。

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2010年12月21日 (火)

年末雑感

  あっという間前回のアップからに一ヶ月以上経ってしまった。その間出かけた所といえば、病院へ数回という有様である。それも遠方はタクシー、近いところは徒歩(2分ぐらいの距離)だから、電車とか、バスとかいう公共交通機関は全く利用してない。

  今年は、スカイツリーを撮影に行く筈だったがそれもかなわず、これでは東京に居る価値が全くないと言わざるを得ない。出かけるのはもっぱらネットでということだから、サーフィンが出来ない環境だったらと思うとぞっとするところがある。

  かといって、テレビに関しては、前回の記事のように、あまりにも下らぬので、殆ど見ない。老人は暇だからテレビを見ているものが多いと思うが、止めた方がいいと思う。だがそれも大きなお世話というものだろう。

  前年は喪中葉書を書いて出した。今年はそれを奇禍として、年賀状は今後廃止することに決意したのだが、ついふらふらと年賀状を買ってしまい、裏を印刷したしまった。さてここからが思案のしどころである。来てから出すことにするか、表を書いて年内に出すか、それとも印刷してしまったのでそれは来年郵便局で普通葉書に替える事にして、初心を貫くことにするか、悩みは尽きない。老人の愚痴である。

  というわけで、下のような戒老的な書物を数多読み漁り、反省のよすがとしているが、そこは凡夫の浅ましさ、一向にその効き目はないというのが現状である。それにしても政治の世界は最早末法の世的ですなぁ。

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2010年11月17日 (水)

テレビは見てはいけない

  最近の世界及び国内の政治情勢を眺めていると、まことに暗澹たる思いを禁じ得ない。ステイツマン、いや誤りで政治屋に関してのことだが、特に現今のその者達の質の劣化には目にあまるものがある。

  どうしてこうなったのか、その原因を解明してみるのも面白いことだろうとは思うが、そんなことをしても、その原因が分かったところで、それを治す処方箋などはある筈も無いように思える。

  それにつけても、それと共にまことに遺憾に思うのは、テレビの劣化というよりは、その洗脳マシーン化の傾向である。苫米地英人氏の著書「テレビは見てはいけない」にあるように、洗脳の道具に過ぎぬのであるから始末におえないのだ。

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  だから私はテレビに関しては、主としてドラマ、それも刑事もの、例えば「相棒」とか、「科捜研の女」などを見るだけに止めている。テレビではなく、インターネットで事実を自分で確かめたほうがよいと確信している。

  つまり、テレビで世の中がこのように動いているのだなどと信じ込まされると、とんでもないことになるのだ。特に今のように、特定の勢力の影響下にあるマスゴミのニュースなどに頼っていると、大きな過ちを犯すことになるのだ。

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2010年11月11日 (木)

スタンス

  11月に入っての初のアップとなる。その間に世間というより、日本を取り巻く世界では色々のことがあった。しかしながら、それらの事柄に関しては一切コメントしないのをこのブログのスタンスとしている。

  コメントが検索に引っかかって、要らぬ心配をすることがないようにするためだ。というわけで、今回も単なる、モノローグに過ぎないことを書いているのだ。

  ADSLモデムは快調に動いてはいるが、何せ公称1M、実質0.1Mにすぎないのであるから、アップロードやダウンロードには著しく時間がかかることには代わりはない。

  だったら光を入れたらいいだろうと思うだろうが、この貧乏西洋長屋では入れたくても入れられぬのがまことに悔しい。光が入るマンションに引っ越せばいいのだが、この年になると、そんな気力もまた金力も無い。 

  そこで、遅々とした動画やらのダウンロードは延々と続くことになる。これが、病気を除けば今の一番の俺の悩みである。実を言うとそうではなく、日本の将来に対する危惧が一番なのだ。悩みは尽きぬものである。

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2010年10月31日 (日)

ADSLモデムの換装

  今月(10月)に入ってから、インターネットへの接続不具合が頻発し始め、遂に先日ADSLモデムがその寿命を終えた。だましだまし何とか機能しているときを狙って、インターネットへの接続をしてはいたが、どうやら限界が来たので、換装する事にした。そのモデムが↓のものである。

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  @niftyのサービスに電話したらすぐ送ってくれることになり、昨日到着した。@niftyの顧客満足度は高いのではあるまいか。故障についても専門的知識十分であり、かつ換装製品の到着が翌日という迅速振りである。それには感激した。また、設定も以前とは比べ物にならぬほど簡単になり、設定はしなかったに等しいくらい、既にそちらで対処したあった。そのモデムが↓である。

W4

  3年間火を入れっぱなしにしていたわけであるから、十分その役割を全うしたものと思う。これで心置きなく、ココログへのアップが出来るというものだ、というより、アップしない言い訳が出来なくなったわけである。

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2010年10月28日 (木)

スティーブ・ジョブズ

  以前私が動画好きであると書いたことがあったと記憶している。暇があれば、動画を検索して愉しんではいるが、なかなか、これはというものに出会うのは難しい。

  ところで、前記事でも書いたように、私はアマゾン愛好者で、↓のようなジョブズ氏に関する本が出ているので、早速購入した。余りにも有名な人物であるだけに、マック愛好者でなくとも、その伝説は知っていることだろう。

The_secret_of_steve_jobs

Jobs

  私はもうプレゼンの必要の無い身となってしまったが、彼のプレゼンテーションがどのように素晴らしいのかを知るためには、動画を活用するのがいい。その為の動画は検索すれば五万と出て来るので、その中から、有名なものを選んで聞くといいのだ。

  勿論英語(米語)で話すわけであるが、余り英語が聴こえない人であっても、動画であるからその雰囲気がよく分かり、聴衆を魅了しているということは分かるだろう。

  映画で字幕の無い場合は、会話が主体であるから、まことに聴取は難しいものがあるが、演説等はそれに比べたらよく分かる筈である。てなわけで、これも動画活用の一法であるという事だ。

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