本日の日経のコラム春秋に、中原中也の詩【月夜の浜辺】が引用されていた。以下にその全文を引用しておく。
【引用始め】
「月夜の晩にボタンが一つ、波打際(なみうちぎわ)に落ちてゐた」。中原中也はその時、月の光に優しい引力を感じたに違いない。「それを拾つて、役立てようと僕は思つたわけでもないが、なぜだかそれを捨てるに忍びず、僕はそれを、袂(たもと)に入れた」
▼人には普段気づかないでいた価値にふと目覚める瞬間がある。月光にはそんな人間の眠った感性を揺り起こす働きがあるのかもしれない。アポロ11号が月に着いたのは38年前のきょう。アームストロング船長はその強い光をじかに全身で浴びた最初の人類だった。拾った月の石を宝物のように握って帰還した。
▼インサイダー取引で実刑判決が下った村上世彰被告には、山林に分け入りタケノコや山菜を見つける趣味がある。市場が見過ごす企業価値にいち早く気づき、投資家の先頭に立つファンド本来の役割にも通じる。だが自分の手で宝を埋め込んでいたのでは、価値を掘り出す自称「プロ」の名が泣こう。ボタンや石を大事に思う心とは程遠い。
▼「月の石」は今は博物館の土産物屋でも売っている。アームストロング氏は政界や商売を避け、農園で静かに暮らしている。おそらく自分だけの本物を家に大切に置いているのではないか。中原中也は詩をこう結んでいる。「月夜の晩に拾つたボタンは、どうしてそれが捨てられようか?」
【引用終わり】
そして引用ばかりで恐縮ではあるが、元詩も引用する。
月夜の浜辺
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
月に向つてそれは抛(はふ)れず
浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
時局のことを盛り込まねばならぬという決まりみたいなものが有るのかどうかは知らぬが、惜しいことに起承転結の転の所で村上世彰被告のことが出て来たのは、どうも唐突の感を免れないし、又こじつけとも思われるのだ。結については、38年前の本日人類が月に初めて降り立ったのであるからまぁいいであろう。
このコラムは夭逝の詩人中原中也の、月夜の浜辺を引用した感性あふれるコラムになるところ、惜しいかな村上を持ってきたことで、その世界から落ちてしまったようだ。
特に、老生も昔、月夜とドングリという詩を書いたことがあるので、余計そのように思ってしまうのだ。
というような、コラム氏には叱られてしまいそうな、大それたことを書いてしまったが、よくよく考えて見れば、これらの拙文は老生の独断的思い入れの表出に過ぎぬのであって、大新聞の一流コラムとしてまことに秀逸であると言うべきであろう。中原中也を持ってくるところがいいのだ。
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