2008年7月14日 (月)

犬吠埼

 ここ2~3年断念していた小旅行をした。といっても近いところ、そう犬吠埼だ。日本最東端というから、一度は行ってみたいと思っていたところだ。

 銚子鉄道なる第3セクターのローカル線に乗り、犬吠まで行く。勿論単線である。両側から緑が覆いかぶさるような、そのような線路を行き犬吠に着いた。

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 ホテルに荷物を置いてから、早速灯台に行ってみたが、99段もあるということなので、とても無理なので登頂をあきらめた。

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 梅雨時であるにもかかわらず、快晴というわけにはいかなかったが、それなりに眺望も良く大成功であった。

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 帰途、成田線から見た下総台地には、風力発電の風車群がまわっており、壮観であった。遠く成田山新勝寺の塔も見えたが、又の機会に訪れることにした。

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2008年2月27日 (水)

浅草公園梅祭り

 先週の土曜日、すなわち23日の午前中に、『浅草公園梅祭り』に行って来た。健康上の理由から、約7ヶ月もの間電車なる乗り物に乗っていなかったので、乗車券を買うのにすら戸惑うといった始末であった。

 4月上旬の陽気であったので、人出も多く賑わいを見せていた。 ウォーキングの団体がやけに多かったし、又観梅の人達も多数詰め掛けていた。おまけにフリマなどもあったり、また中国雑技団の出し物やら、東京藝術大学の邦楽演奏などもやっていた。

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 天気予報が当たり、午後が近づくにつれ、どうも雲行きがおかしくなると同時に、私の持病に由来すると思われる超能力により(笑い)、低気圧の接近が予感されたので、直ちに観梅を止めて帰路についた。

 それにしても、外出するということは、実に気分のよいものである。だんだんと寒さも和らいできて、健康状態もよくなると思われるので、カメラを担いで、今度はもう少し遠方に出かけたいものとしみじみと考えたのであった。

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2007年7月25日 (水)

省線電車

  あっという間にもう今年も半年以上経ってしまった。入院・通院数知れずという具合に、多難な半年だった。そのため、今年はJRに乗ったことは一回も無かった。東武と京成の両電車にチョビッと乗ったに過ぎない。201

  久し振りに明日友人宅を訪問し、パソコンなどを見せてもらうことになっているのだが、そのとき待望のJR(昔の呼び名では省線・国電)の電車に乗ることが出来そうだ。

  昔々、高崎線が未だ電化されて無い頃、汽車に乗ったことがある。その頃は碓井峠を登るために信越線の横川で電気機関車に接続が代わり、峠を過ぎると又汽車になるのだった。

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  ポッポ屋ではないが、何だかんだと言っても、日本国有鉄道はよかった。その国鉄が悪くなったのは、結局のところ何に由来したのだろうか? マルクス・レーニンかも知れぬと思ったりしてはみるが、多分国有(親方日の丸)なることがその第一の原因かも知れぬ。あるいは、キャリアーと組合専従なる要員との意識の乖離かも知れない。

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2006年12月21日 (木)

ノスタルジー

Reds     いささか旧聞に属するが、浦和レッズが優勝し、そのパレードが浦和で行われた。【さいたま市浦和区で】などと書くのには抵抗がある。といって私は旧浦和市に所縁があるわけではないが、高崎線で通過する際、浦和市の手前の川口のキューポラが林立する風景は実に見事なものであった。

  そういえば高崎線が電化される前は、黒煙を吐きながらSLが上野駅を出て、関東平野を行く車窓からの風物は一服の絵だったと述懐するのは、私のノスタルジーであろうか?

  それはともかく、レッズ優勝のパレードの写真が友人から送られてきたので貼り付けた。残念ながら、あまりにも縮小しすぎている。このような記録写真は鮮明なほうがいいのだ。レッズといえば、フットボールに疎い私には、大リーグのシンシナチーのレッズの方がなじみがある。

  キューポラのある風景の川口の地名は残り、埼玉の文教地区といわれる浦和(かろうじて区名で残っているが)の名前が消え去ったのは皮肉である。浦和といい、あるいは上野の黒門町といい、霞町、角筈など懐かしい由緒のある地名が馬鹿役人がやったことかどうか知れぬが、安易に変更されてしまうのは実に悲しいとともに大いなる怒りを覚えるのだ。

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