『電車男』の再放送に寄せて
『電車男』の再放送を見る。
今週の木曜で終わり。
『オタク』ではなく、『ヲタク』であることを知った。
俺もある意味で昔クリプト・ヲタクであったから、
その気持ちは痛いほどよく分かるのだ。
近いうち本とDVDを買うことにしよう。
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『電車男』の再放送を見る。
今週の木曜で終わり。
『オタク』ではなく、『ヲタク』であることを知った。
俺もある意味で昔クリプト・ヲタクであったから、
その気持ちは痛いほどよく分かるのだ。
近いうち本とDVDを買うことにしよう。
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段ボール箱を整理していたら、辛島驍氏の『暗号と推理』の初版本が出て来た。昭和37年2月20日第1版発行とある。その頃暗号に興味を持っていても、日本にはまことに暗号について解説した市販の書物は無きに等しく、この本をむさぼるように読んだ記憶がある。
インターネットで検索してみたら、オークションで\2,000となっていた。この本ばかりではない、私は暗号に関する本を、一時趣味で収集していたことがあるので、和書・洋書を問わず随分と何処かのダンボールにある筈である。
だからといって、これらを売り払う気には到底なれない。というのも、これらの本には当時の思い出が、センチメンタルジャーニー的に、色濃く残留・付着しているからだ。それらが記憶を釣り上げるフックとなって、暗号には関係のない懐かしい、例えば数学のことどもが、連鎖的に思い起こされるのだ。
院生の頃、クロード・エドウィン・シャノンの情報理論の画期的な論文2編を読み、暗号というものが、このように理論的に表現されることに、深い感銘を受けたことも懐かしい思い出だ。それらの日々、情報理論・コンピュータ・サイエンスの研究に従事していたこととあいまって、もろもろの周辺の記憶が、質感つまりクオリア的によみがえって来た。
一冊の書物から、このように懐かしい記憶の数々が引き出されてくることは、プルーストの『マドレーヌの香り』から記憶がよみがえって来ることになぞらえるのは不遜ではあるが、そのような気持ちになってくるのである。まことに、記憶というものは不可思議なものであり、個人的には一種の時航機でもあると思えるのだ。
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友人から送られてきた館林にある茂林寺の分福茶釜像をペイントで細工してみた。このようにすると上下対象の図となり、あたかも水面に映る分福茶釜のようになる。以前ホームページに『川面写真』なるものをアップしたことがあるが、風がなく鏡のようになったドブ川に映る写真を思い起こさせるものがある。
上下あるいは左右対称の絵を作成すると、万華鏡かあるいはロールシャッハテスト図のようなものが出来上がる。この場合原画は、一見意味が分からないようなものが面白いものが創れる。それを眺めていると、色々と想像があらぬ方向に飛んで、思いもよらぬ考えが出てくるので面白い。川面写真の一例と、分福茶釜を載せることにした。ただし川面写真のほうは原画が川面に写った写真で、それを上下対象に変換したものを上に付けた。したがって、多少の歪みが生ずるのは止むを得ない。
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昔の昭和初期あたりの写真、勿論セピア色に変色しているものだが、それらをスキャナーで取り込み、修復する作業をしようとしているのだが、何せその技術が無い。そこで遅まきながら、画像加工の講座を受講したり、専用ソフトを勉強したりしているが、数理科学関連の計算とは勝手が違ってさっぱり技術の進歩が無い。
何せ他人の作ったソフトに通暁するというのはしんどい事である上に、気が短いものだからいい加減のところで分かったつもりになり、適当にやっては失敗を繰り返している。この経験から学んだことは、美術品の修復作業は、実に大変な作業、否、独創性を必要とするものだということである。
それらをパソコン上でやろうというのであるから、美術品ではないにせよシンドイ作業であることに違いは無い。しかし、うまく修復された暁には、美術品などという大それたものでなく、単なる個人的な写真であるにせよ、多分大いなる歓びが待っているだろうと思い、独学に励んでいる。
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先日フリマで、友人がピエロの植木鉢を購入したと書いた。そのブログを見た友人は、よく分かるようにと、別の角度、後ろ側だが、から見た写真を送ってくれた。この左に添付してあるサムネイルの写真は、インターネットで検索して出て来た、『ピエロのプランター』を借用したもので、ちなみに値段は¥12,500とあった。
そこで、友人の送ってくれた後ろから見た植木鉢を見てみると、なるほどこれなら草花を植えることが出来ると納得したのであった。ではあるが、上のものが、1万円以上するのであるから、相当なものであろうなどと言うのは下衆の勘繰りというものであって、先日えらそうに書いたように、大所高所から見て素晴らしい物だと感心するのが筋というものである。
いずれにせよ、どちらがどちらということでなく、これに可憐な草花を植えて楽しむという、友人の風雅な気持ちがとうといのであって、御夫妻で愛でられる姿を想像して、老生も幸せな気持ちになったのであった。
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