2007年9月18日 (火)

阿呆マスコミを叱る星野氏

 総裁選についての報道が実に五月蝿い。そんな時に元中日監督の星野氏が、マスコミを一喝してくれた。溜飲が下がる思いである。

▼インターネットでの調査と、各新聞社等のやる民意の調査と称する似非世論の調査とは、えらい乖離があるようだ。どちらがどちらとは言わないが、少なくともインターネットについては、操作が難しいから、マスコミの影響はそれだけ少ないと思う。

▼参考のために、星野氏のブログのURLを挙げておこう。http://hoshino.ntciis.ne.jp/index.html

Hoshino64

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2007年9月17日 (月)

天邪鬼の勧め

 敬老の日だそうだ。何の感慨も無い。それより、先般から始まった政局の方が気になる。マスコミ等の報道の趨勢を見ると、既に安部総理は忘れ去られたような有様である。そして彼に批判的な論調が多いように感じられる。

▼そういう時は大勢に従わず、その反対の方向から考えてみると、物事の本質が見えてきたりする。例えば『安部総理は戦後最も偉大な総理である』としてみるのである。今から10年、20年後に振り返ってみた時、案外その主張が正鵠を射ていたということになるかも知れぬのだ。

▼人間というものは、曇って汚れ果てたバックミラーでしか、物事を見ることが出来ぬ生物なのである。あるいはバックミラーも無いのが大衆というものなのだ。だから、よく写っていると思って見ているそのバックミラーの像を、否定あるいは反転してみるのも面白い。

▼後であの9月の変は何だったのだろうということになるだろう。マスコミの予想などというものは、必ず外れるのが常である。これは誰が総裁になることの予想を意味するのではなく、何時までこのようなわが国がもつのか?ということについての予想を意味するのだ。

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2007年9月13日 (木)

平成元禄田舎芝居というドメスティック志向の阿呆らしさ

 いよいよ混沌として来たというのは、庶民として傍から眺めている者の眼に映る様相であって、実はその有様は混沌でもなんでもなく、『平成元禄田舎芝居』に過ぎないのである。つまり政治屋という集団の乱痴気騒ぎなのだ。

▼政治家というのは実に因果な商売である。皆がそう思っている訳ではないであろうが、まともの神経を持っている者なら、そんなものに血道をあげることは有り得ない。

▼社会を作る昆虫を観察していると、これと似たような、騒動に出くわすことがあろう。そんなレベルの話であると言えば、昆虫に叱られるかも知れぬ。世襲議員が多いのだから、これはやはり、ビルトインされた性というしかあるまい。

▼これよりしばらくは、非常に面白い現象が出て来るのだから、自民党のことばかりでなく、民主党をはじめとする野党のドメスティック志向の阿呆さ加減についてもじっくりと観察するいい機会である。世界の動向はそんなことに関係なく、非情な速度で進行して行く。

Ari

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2007年9月12日 (水)

表面的なサプライズに過ぎぬ

 安部首相が辞意を表明した。『政治の世界は一寸先は闇』というが、本当にそうなのであろうか?はなはだ疑問である。その兆候は出ているのであるが、それが報道されないだけではないのか?

▼その兆候なり傾向なり、あるいは確たるエヴィデンスなりを、所有している人数の多寡に起因するに過ぎぬのではあるまいか?今度の場合も、その真の理由が何であるのか、本人が分かっているかどうかは分からぬが、『原因と結果の法則』からすれば、その人が考えたことが実現したに他ならぬのだから、総理その人の(無意識にせよ、顕在意識的にせよ)考えが実現したに過ぎないのだろうと思う。

▼ことの是非はともかく、それがサプライズであるかの如く報道される(国内外を問わず)のは、報道する者がサプライズと考えているためなのかどうかが、甚だ疑問ということの証左だという見方も出来よう。

▼結論として言えることは、今そのニュースという事実について、一番幸せに考えているのは案外、表明した本人なのかも知れぬ。やはり混沌としたカオスが無いと、この社会は生存が不可能なのだから、案外これは混沌でなく必然だったのかも知れぬ。

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2007年1月18日 (木)

慇懃無礼な表現

  『・・参りたい』という不思議としか思えない表現が、最近の官庁・大企業・政治家等の弁明とか釈明、声明などに使用され、それが報道されることが多いのはどうしたことだろう。ちなみに『参りたい』で検索をしてみると、数え切れないほどの文書類が出てきて嫌になる。

  この表現がこうも安易に、また企業・あるいは官庁などのお辞儀(儀礼的な慇懃無礼なる)を伴っての釈明に使われ始めたのは何時頃からなのだろうか。政治屋の選挙演説で多用されたのがその流行の始まりではないかとも思うがどんなものだろうか。

  その主語は誰なのかと言うと、それを喋っている当人かとも思えるし、また不特定多数的にぼやかした無責任な発言とも思える。実行しようとしているのか、実行する方向で考えて行きたいのか、単に軽く思っているのか、あるいは単なる修辞上のことなのか、全く訳が分からぬのは、私の頭の悪さのせいばかりではないだろう。

  いずれにしても私には、無責任な表現としか聞こえないのである。誠実さが感じられないのである。結論的にいえばはぐらかされ、馬鹿にされているという印象を受けざるを得ないのである。

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