2008年11月30日 (日)

忘却

       忘れなさい

     汝自身を忘れなさい

      朝の来ない夜は無く

      夜の来ない昼も無い

        そのように

    汝である何ものも無く

  闇の中から汝が立ち現れる

だから独り犀の角のように進め

        

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2008年4月 2日 (水)

八木重吉

眼がさめたように

梅にも梅自身の気持ちがわかってきて

そう思っているうちに花が咲いたのだろう

そして

寒い朝霜ができるように

梅自らの気持ちがそのまま香にもなるのだろう

(八木重吉)

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梅はもう往ってしまったが、大いなるものは

いつも充満しているのだ。

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2007年11月18日 (日)

Saudade:サウダーデ:暗愁

 五木寛之氏の『人間の関係』がアマゾンから配送されてきた。その中に、欝的な状態を脱却するための方策として、70歳を過ぎた場合は、『悲しみのノート』をつけるといいとあった。

▼そこのところに、ファドの女王のアマリア・ロドリゲスの絶唱『サウダーデ』が紹介されていた。正確には『 FADO DA SAUDADE Amalia Rodrigues FADO HISTORIA CANTADEIRA』である。

▼今もこのブログを書きながら、You Tube でその曲を聴いているところだ。CDも持っているが、その中には『Saudade』は無いから、You Tube を聴いているわけである。
URLは→
http://www.youtube.com/watch?v=hu80oNJEdEwである。

▼『サウダーデ』(暗愁とでも訳すといいのではないかと五木氏は書いておられる)を感じるようなときには、『悲しみのノート』をつけてみようと思った次第である。人生の黄昏時に万華鏡を輝かせるためには、案外そのようなノートが効果的かも知れぬ。

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2007年11月17日 (土)

地球にとって人類は害虫なり

 本日の日経新聞のコラム春秋から、下のような結句を引用する。

半世紀も前に毒舌家の大宅壮一氏はゴルフ場を「緑の待合」と呼んだ。「社用族」という日本独特の存在がゴルフ本来の姿を歪(ゆが)めてきたといわれる。ゴルフの3文字が公務員の倫理規程から削除される日は来るのだろうか。その時は談合や政官業の癒着が日本から消え去る日だろうが、100年河清を俟(ま)つ思いだ。

▼以前にも書いた記憶があるのだが、長谷川慶太郎氏の『マージャン・カラオケ・ゴルフは止めなさい』との言を忠実に守ってきた。マージャンに関しては、その言に接してから止めたし、ゴルフは始めようとしたが、体の具合が悪いので止めた。酒席でのカラオケは、これまた忠実に慎むことにした。

▼今にして思えば、時々ゴルフぐらいはやっておいた方がよかったのではないかと思うこともあるが、それは一瞬のことで、これは地球に優しいものではなく、一種の破壊行為だと思う。まことにまことにやらなくてよかった。

▼人間というものは残酷な生き物だ。これは地球にとってあってはならない生物だと思いはじめた。自分がその一員であるにもかかわらず、そう思わざるを得ないのはどこかおかしいのだろう。もうあまり永くはこの文明はもたぬのではあるまいか!

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2007年11月11日 (日)

必要なものはほんの少しなのだ

 ブログというものは、活動的な人ならばネタに困ることはあるまいが、ただ家にいて寝ているだけという人間にとっては、何を書くかということでまことに困るのである。

▼私はこれまでに何回か蔵書の整理をしてきた。その都度半分くらいの量の本を、破棄している。したがって、その間に本を購入しなければ、n回の整理で書籍の量は元の2^n分の1になっている筈であるが、それほど劇的に減りはしてない。でも元の量の4分の1くらいにはなっている。

▼考えてみれば、つまらない本をよくもまぁ買い込んだものだと呆れるばかりである。それも自分が歳をとって、興味の対象が全く変化してしまったからであろう。変化というよりは、むしろ、好奇心が薄れてきたのやも知れぬ。

『人間は何も持たずにこの世に何処からとも知れず来たり、そして何も持たずに何処ともなく帰っていく』のであるから、ほんの少しのもので満足するようになってきたということは、実に理にかなったことと納得するばかりである。

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2007年11月 9日 (金)

万華鏡

 ショップ’99にて、万華鏡を買った。99円のものであるからそれほど精緻なものでないのは勿論である。ではあるが、それなりに色々変化をするから楽しいものである。

▼このブログのタイトルが『黄昏の万華鏡は静かに輝く』というものなのだから、そのうちパソコンの中に万華鏡を作るつもりだが、未だ実現していない。

▼少ない素材にもかかわらず、千変万化するその美しさの秘密は、六面の対称性にある。そのように人間の心も、その本質は限られた有限のものであろうが、黄昏時ともれば、その在り様も千差万別に見える。

▼万華鏡を廻しながら考える。この世に生かされているということを感謝し、そのような心模様を表すような、優しさを秘めた万華鏡でありたいと。

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2007年10月24日 (水)

黄昏の万華鏡を見る

 子供の声がめっきり少なくなった。そんな時、珍しくざわめきが聞こえたので、ベランダから撮った。このような子供の年とは違うが、何故か『学生時代』なる歌が懐かしく耳の奥で聞こえた。

 老年に懐古は、まことにほろ苦くもありまた愉しいことである。あの頃に戻りたいという、かなわぬことの実現を願う心と、その願いの空しさとが交錯して、このブログのタイトルのように、『黄昏の万華鏡は静かに輝く』かに思えるのだ。

Kodomo

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2007年10月21日 (日)

風立ちぬ

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.

風立ちぬ いざ生きめやも

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Akigumo_2_2

Akigumo_3_2

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このときの雲は それぞれの命のように

あたかも魂の飛翔のように

人の心を揺さぶるのだ

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2007年7月14日 (土)

東京の盂蘭盆会

Urabonne

  【菩薩道の歩み方 ● by Takochan http://www.sunlotus.org/season/urabon/urabon01.html】によれば、盂蘭盆会とは『盂蘭盆会は彼岸会と同様、主に先祖供養のための行事ととらえられていますが、彼岸会とは大きく違うところがあります。それは、彼岸会では先祖の霊魂を彼岸に到らせようという想いが強いのに対し、盂蘭盆会では家に帰ってきた先祖の霊魂(れいこん)をもてなす意味合いが濃くなっている点です。そしてこの「先祖が家に帰って来る」という部分が、帰郷の強い動機になっているのでしょう。しかし仏教には元々こうした教えはなく、日本古来の習俗に由来するものです。』とある。

  先祖の霊魂はどこから帰ってくるのか?私の直感としては、これは山から帰ってくるような感じがする。この世の肉体から脱皮した霊魂は、その地方地方の山へ帰って行くのであろうと、古代人は考えたのだろうと思うのだ。おそらく縄文時代からそうであったのだろう。

  それにつけても、現代においてはそのような感覚は希薄になるのであるが、日本人の潜在意識の奥深くに、共通のものとして海の如く普く保持されているように思える。それが現れるのは、初詣であり、盂蘭盆会に伴う規制ラッシュであろう。

  東京においては、今日などそこここに、僧侶の往来が見られたり、寺院のあたりには線香の香りが漂っている。貧乏西洋長屋の拙宅などでは、まことに情けないことであるが、仏壇は設置できず、手製の粗末なる仏壇まがいのものに両親の位牌を置いている。

  疎開先の田舎に設けた墓まで行くことがかなわないものだから、その粗末なる仏壇まがいのところに、供え物をして、線香をあげて来宅した霊魂を歓迎しているのだ。あと一日で滞在期間も切れて、又長旅をして山へ帰る迄のまことにつかの間の滞在である。それにしても、こんなとき思い出すのが浅田次郎の『うらぼんえ』である。

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2007年5月25日 (金)

心の不条理

  どうも近頃調子が出ない。それがブログのアップ率にももろに影響している。要は書くことが無いというよりは、書く気があまり起きないということなのだ。多分これは、気候が影響するところ大なのではないかと思っている。

  天候・気象が、いかに人間の精神に影響を及ぼすものであるか、ということについての研究を知りたい。断片的には、私のような知識の偏った人間にも、目に触れることがある。五木寛之氏の著作には、その辺のところが書いてあるので参考になる。

  変化が大きいもの、つまり気象・天候等に関する指標の変化の微係数が大きく変化するもの、それはどうも精神に影響するところが大きいようだ。殺人を犯したのは太陽のせいだというカミュの小説(『異邦人』)なども、その一証左なのだろう。

  頭脳とか心臓などはもろにその影響を受ける。精神・気分のありようなどもその最たるものだ。躁鬱病なども多分その例に漏れないと思う。そういえば最近、不可解な傷害事件が多発する。その一因として気象の変動があるのではないだろうか?たかが気象、されど気象である。こんなところにも、地球温暖化の影響があるというのは言い過ぎだろうか?

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