2008年9月29日 (月)

哲人イチロー

  以下に共同通信社の記事を引用させていただく。

  【シアトル28日共同】米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(34)=本名・鈴木一朗=は28日、シアトルで行われたアスレチックスとの今季最終戦で2安打を放ったが、日米通算3083安打で、張本勲(東映、巨人など)の日本プロ野球最多記録の3085安打に、あと2本及ばなかった。記録を超えるのは来季に持ち越された。

 3085安打にあと4本と迫っていたイチローは、1回に右中間二塁打、7回に遊撃内野安打を打ったが、あとの2打席は凡退し、4打数2安打だった。

 イチローはオリックス時代の9年間で1278安打、マリナーズでの8年間で1805安打を積み上げた。今季は7月29日に日米通算3000安打に達し、今月17日には、107年ぶりに大リーグ記録に並ぶ8年連続シーズン200安打を記録した。(10:48)

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  そのインタビューの有様をテレビで見ていて思うのだが、彼はどう見ても求道者・哲学者であるといったら褒め過ぎであろうか?! 去年、彼が古畑任三郎のシリーズに特別に出演したものを見たが、その時の彼の佇まいも、まさに哲学者のように感じられた。

  彼は一野球選手ではない。もちろん野球の天才ではあるが、単に一芸に秀でたなどという範疇の人物ではない。私は彼のありように、老荘の如きものを感じてしまうのである。彼は私の尊敬する年下の稀有の偉人である。

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2008年2月10日 (日)

時間の発見

 1980年に刊行されたコリン・ウィルソン編著(竹内均訳)の『時間の発見』を再読している。約30年前に出た本であるが、今こうして再読してみると、自分の年齢が進んだことに起因すると思われる新しい発見に気が付くのだ。

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多分読了するまでには時間がかかると思うが、そのときにはコメントをアップする積りである。このように、昔から適当に濫読してきた書物を、老齢に達してからから再度読み直してみるということは、ある意味で自分発見の旅でもあるのだ。

▼しかし随分と廃棄した書物は、今持っている量の3倍はあったにもかかわらず、依然として再読したい書物が相当量残っているので困惑している。再読したからといってそれがどうなるものでもないのであるが、人生とはある意味そうした、説明の出来ないことどもの積分なのだと思うことにしている。

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2007年11月 4日 (日)

求めない。求めよ。

 加島祥造氏の『求めない』 という本は詩集である。そしてそれは、伊那谷における氏の生活から生まれた、老子の思想を具現したかのような詩なのだ。

▼ところで新約聖書マタイ伝には、『求めよ、さらば与えられん』とある。しかして『思考は現実化する』というニューソートの解釈によれば、次のようになるようだ。

▼「求めよ、さらば与えられん」。イエスは言う、「子供がパンを求めた時に、石を与える親がいるだろうか。まして、全知全能にして、みなの創造主である神が、あなたの求めたものを、与えないということがあるでしょうか・」と。つまり求めるという思考は、与えられるという結果として現実化するというのだ。
 
▼老生の考えでは、これらの言葉・箴言の言わんとするところは、イエスであろうが、老子であろううが、ジェームズ・アレンであろうが、ユンクであろうが、中村天風師であろうが、村上和夫氏であろうが、その他誰であっても、意味するところは同じだと思うのである。要は、サムシング・グレートなる存在に帰一するということなのだ。

▼遺伝子の2重螺旋構造が発見されて半世紀以上が経つ。このような遺伝子の整然たる情報を書いたのは誰であろうか。それを村上氏はサムシング・グレートと名づけたが、この存在を思うとき、誰でも畏敬の念に打たれないものはいないであろう。大いなるものの存在である! 

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2007年10月12日 (金)

神の暗号雑感

 ヤスパースの『神の暗号』を再読している。だが、何故そこに横線などがひいてあるのか、全く分からないのが不思議である。1982年に読んだのだから、はるけくも来るものかな!というところ。

▼つらつら考えてみるに、これは私がそれだけ歳をとったため、脳が退化したのか、あるいは、日本語訳が悪いということに私が耐えられなくなったかの何れかであろうと思った。

▼誤訳かどうか分からないが(原語のものを持ってないし、私はドイツ語がよく出来ないので)、例えば『暗号』は当然日本語の暗号ではアンベェが悪かろうと思う。ニュアンスが違うのだ。そんなことは些細なことだが、何しろ直訳なので、訳者は実は内容が全く分かってないのではないかと思えるほどのひどさである。

▼ということで、再読は止めることにした。そんなことに使うほど俺には時間が残されてはいないからだ。だが謙虚に考えてみると、ひょっとして俺の脳の退化がその実態かも知れぬ。

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